ついに復活!AmericanApparel〔アメリカンアパレル〕

洋服は自己プロデュースの手段ともいえる。
ならば、やはり自身を煌びやかに引き立てる特別な何かが理想だろう。反面、“衣食住”と、生きていくうえで必要な要素として括られることからも分かるように我々にとってもっとも身近なもの。
堅苦しくなくリラックスできる、人々の生活に寄り添ったアイテムが理想という考え方もある。
ただ、「アメリカンアパレル」の功績は、個を引き立てる普段着を人々の生活に根付かせたことにあると思う。

卸から小売へ。シンプルの中に見出した独自のカラー


ブランドの設立は1989年。アメリカンポップカルチャーを愛するカナダ出身の若者、ダブ・チャーニーの手により誕生した。
Tシャツ作りに精通していた彼は、大学在籍時にシルクスクリーンプリントを主とするデザインアイテムを作ることからビジネスをスタートさせる。
’97年にはLAへ移転し、2000年には自社工場を持つまでに成長。
当時はというと、ブランドのデザイナーや企業のユニフォームなどを製作する企業などへの卸が主流だったが、自社店舗でもオリジナルアイテムを販売。ベーシックながらも多彩な色使いによる個性的なラインナップが若者たちの心をつかみ、’05年には“アメリカで急成長中の企業リスト”にも名を連ねることとなる。

崇高な理念と先鋭的な情報戦略


アイテムはもちろんだが、彼らの強みともとれる革新性を表す最たる例は、LAのダウンタウンにある併設された本社と工場かもしれない。
海外生産が主流だった当時に反し、一貫して自社での製作にこだわったのだ。
チーム製造を主とし、それぞれにリーダーをたて優れた技術のある人間に責任を付与。十分な給与と労働環境の改善にも着手する。
また、移り変わりの激しいファッション業界の波に乗るべく、世界各国の店舗から届くリアルな販売情報をその日のうちに本社で把握。
数日後には生産ルートへ乗せ、10日を待たずして世界中の店舗に並ぶ。
フェアトレードの精神と最先端の情報戦略、そして、斬新かつキュートなPRヴィジュアルなど、マーケティング、プロモーション戦略においてもその手法は常に新しさで満ちていた。

色、シルエット、ネックパターン…。圧倒的バリエが生む自由


アメリカンアパレルのアイテムは、“誰もが普段から手に取り、袖を通せる”ベーシックなものが大半を占める。
Tシャツはその最たるアイテムといえるだろう。
コットンとポリエステルを同率で編みこんだこちらのTシャツは、ひと度身につければ長年着てきたかのような馴染みの良さを堪能することができる。柔らかな肌触りはリラックス感を呼び、繰り返し身につけたとしてもシワになりにくい頼もしさも日々感じることができるだろう。

こちらは、同社のシグネチャーであるミディアムファブリックのファインジャージー謹製。コットン100%のニット編みにより仕上げられ、その柔らかさに誰もが驚くはずだ。程よくタイトに編み込んでいるため、ラフに着られる丈夫さも加味。それがさらに日々のリラックス感を生む。

こちらは、ガッシリとした生地感が実にアメリカメイドらしいボックスフィットのヘビージャージーTシャツ。強さがありながらも、ジャージー生地だけにタッチの良さも備えた二兎を追って二兎を得た理想の一枚。

筆すべきは、選びの自由を生む圧倒的カラー数。アイテムによっては33カラーを揃え、世界のあらゆる人々の嗜好性をフォローする。スリムからビッグシルエットなどをラインナップし、Vネックも深さに合わせて複数のパターンを揃えている。その豊富な選択肢が、時代や人、国といったあらゆるボーダーを取り払う、大きな要因となっているのだ。

色、シルエット、ネックパターン…。圧倒的バリエが生む自由

日本では、’05年に第一号店が渋谷にオープン。’12年にはレディースの売上が世界を含めた全店舗でトップになるなどひとつの時代を築いた。しかし、業績不振により’15年には渋谷メンズ館が閉店。’16年の破産法適用申請により全ての店舗が撤退を余儀なくされた。しかし、ギルダン社がその権利を買い取り、’17年からはオンライン上で日本への販売もスタートさせている。同社らしい“ザ ベーシック”な趣は、洋服の価値観が乱気流のように変化している今にあって何かと心強い存在だ。ちなみに、創業者のダブ・チャーニーは、社を離れたのち「ロスアンゼルス アパレル」というブランドを立ち上げている。そちらも注目してみると面白い。



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